35歳限界説な男の人生記録

35歳時にうつ病と仕事の能力不足で休職、2021年から障害者雇用で復職した男のブログ

35歳限界説の男が休職した日の話

私がこの35歳限界な男の人生記録というブログを始めた原点である

 

 

休職になった話

今回このエピソードを書きます

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その17) - 35歳限界説な男の人生記録

前回、就労が限界になったトドメの話を書きました

就労が限界になり、出勤する時間になっても玄関から出られなくなって

会社に連絡して、通院している心療内科に電話して午後の診療時間で診療を受けました

主治医とはこの時点で8年以上診ていただいてます

 

私のあまり生きることに前向きではない部分(はてなブログなので配慮した表現にしてます)や精神疾患の深刻さや仕事に勤める能力が欠損しているなどのことを主治医は把握されてますので

私が発狂寸前状態で「働くことに限界来ました、もう無理です、無理です」

「私の人生は終わりです、もう歩けません!動けません!どうしても無理です」

こんな半狂乱な話の切り出しに応じながら診察していきました

ここから主治医と話し合いをしていきます


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主治医「以前からお仕事が限界に近いと言っておられましたね、まず今日の気持ちを少しずつでいいのでお話してください」

半狂乱な精神状態から少しずつ会話になるような状態へ戻していきます

私は毎月の診察で以前から問題点は伝えてはいますが、限界になった経緯を改めてお伝えしました

 

この日の直近1年だと

部署異動になったこと

業務が着いていけないこと

機械を壊してしまったこと

インフルエンザや扁桃腺炎に罹患したこと

生産予定数が溜まってしまい、納期に間に合わないこと

そして今日、出勤する時間になっても玄関から出られなくなったこと

もう限界で出社出来ない気持ち

 

主治医は話を聞いてくださってから

35歳限界説の男「私が以前現職を退職しようとしてたときに退職じゃなくて休職する手もある話をおっしゃられてましたが、この場合でも休職とかどう思いますか?」

主治医「いきなり退職じゃなくて休職して療養しながら考えるのは有りだと思います、療養してから復職するとしても退職して転職など違う生き方をされるにしても療養して精神状態が良くなってからしてみる方が今の精神状態で行動するよりは良いと思います」

35歳限界説の男「今回もし休職した場合、普通なら生活成り立たないですが…、昔ネット上の記事とかで休職して傷病手当を受給して生活されてる人がいることを目にして知りましたが私の場合はそれが当てはまるのでしょうか?

主治医「35歳限界説さんの場合は病状がうつ病です、精神疾患の病気で休職する場合も傷病手当の受給資格ありますし、限界説さんは1年以上就労されてるのでこの部分についても受給資格に当てはまります、申請することは出来ますよ」

35歳限界説の男「もう私は働くことが無理です…、その方法での休職って可能ですか?」

主治医「わかりました、傷病手当を受給しながら休職にしましょう

会社に提出する休職の診断書を発行しますし、傷病手当の手続きもしましょう」

 

35歳限界説の男「ありがとうございます…、ありがとうございます…、是非とも、是非ともお願い致します…」

 

心療内科で診断書を受け取った後、課長さんに電話して事情を話しました

翌日朝一から面談することになり、辛い精神状態でしたが「あと少しだけ、休職手続きの為に会社に無理矢理行こう」って自分を鼓舞し無理矢理出社しました

面談にて診断書を提出と休職を申し出して



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2019年6月に休職して傷病手当受給する生活を開始しました

「35歳限界説の男」という名前でこのブログを開設した理由は35歳のこの日に仕事を能力不足やうつ病などの病気で働けなくなり休職して傷病手当で生活を始めたからです

私の過去の人生を生い立ちの家庭環境から休職日までのエピソードを書いてきましたが今回で過去の人生記録はラストエピソードになります

人生記録カテゴリーの記事を今まで見てくださった読者さん、ありがとうございました

 

 

休職・傷病手当受給という制度があったので今日まで延命出来ました

私の傷病手当申請期間が今月(2020年12月)で終わりましたので、今月申請した分が来月振込みされたら傷病手当金の支給は最期になります

最期の傷病手当金支給の記事まではこのブログを書き続ける予定であります(その先については状況次第なのでブログ継続するか未定です)

 

休職した日も今日も変わらない気持ちなのは

傷病手当受給期間≒余命

これは変わってません、傷病手当受給が終わったら生命維持が不可になる可能性があると自分に言い聞かせています

障害者雇用での復職交渉をしてますが復職出来なかったり、復職しても業務が出来なくて退職する場合もあり得ますし

失業保険という手も一応残されてますが、失業保険も受給期間が決まってます

これから先は生活費に困窮する可能性もあるので生命の終わりを覚悟しながら生活していきます…

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その17)

前回は機械オペレーター業務で追い込まれていく話を書きました

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その16) - 35歳限界説な男の人生記録

私は機械を壊してしまったので修理依頼して約1ヶ月後から修理し終わった機械で再度機械オペレーターとして生産業務をします

約1ヶ月修理に期間がかかっているので生産を挽回しないといけません

私一人の力量では無理な状態を見かねて、班長さんが手が空いてる時間で手伝って貰いながら生産しておりました…

 

生産予定数が溜まっております…

納期も無理言って伸ばしてもらってます…

残業も法定時間内分しながらやっておりました

 

私は能力不足なので更に激務に感じてます、毎日心身ともにかなり消耗してます

家に帰っても食事を作る気も起きないので夜は適当な冷凍食品や牛丼屋で帰り道に購入したテイクアウトを食べる、朝はウィダーインゼリー的なものやカロリーメイトしか口にしない食生活

家の掃除も隔週1回のトイレ掃除とゴミ出ししかしないので不衛生

泣き叫んだり、奇行もする家での時間

精神疾患も激しい状態

不眠症は激しくて、業務が不安で不安で処方箋の薬を処方量通り服用してもあまり寝れない

かなり不健康な生活しながら日々を過ごしてました

 

そうなると免疫力がかなり低下します


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ある日、かなりひどい風邪な症状が出てしまい会社を休みました

病院へ行きインフルエンザの検査をしたら陽性でした…

会社に連絡すると5日間の有給休暇で休みになりました(土日もあるので7連休になります)

ゾフルーザというインフルエンザの薬を処方されて服用して治しました

7日間仕事してない分更に生活予定数が溜まってしまいました

 

インフルエンザ罹患する前のように挽回を目指すペースで再度働きますが

 

私の免疫力は壊滅してる状態です

 

今度は扁桃腺炎に罹患してしまいました

扁桃腺炎は地獄 - 35歳限界説な男の人生記録

↑以前ブログ記事にしましたが

高熱が出てしまい、首や喉がかなり腫れてしまいます

最初に行った病院でフロモックスを5日分処方されました

また会社を5日間休んでしまいました…

症状が治まって出社すると

また生産予定数が更に溜まってしまいました…


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班長さん「限界説くん、体調管理どうなってるの?インフルエンザの次は扁桃腺炎って、生産予定数溜まるし納期間に合わないよ、それでは本当に困る」

とおっしゃられていました

 

私は返す言葉がありません…

わざとインフルエンザや扁桃腺炎に罹患したわけではないですが、言い訳がましくなってしまいますので謝罪しか出来なかったです…

 

同じ様に働いていていると

扁桃腺炎が再発してしまい

更に病状が悪化、熱も39℃超えました

喉が塞がる寸前まで腫れるし呼吸がかなり苦しく、首がすごいサイズになるし、首から上は激痛です

やばい色の痰がだらだらと出る

関節痛も全身あります

今度は専門的な耳鼻咽喉科に行きました

 

診察をしてもらうとあと少しで気道が塞がるくらい深刻な病状だと診断されました

毎日処方された薬を服用するだけではなく

毎日抗生物質を点滴することや吸入器で薬剤を吸入する事も必要だとおっしゃられていて


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毎日、通院して吸入をしたり抗生物質を点滴していただきました

再発したときの方が気道が塞がりそうな深刻な病状でしたので専門的な医療機関に行って良かったです…

 


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また有給休暇で休みをする為に連絡したのですが、当然班長さんは呆れます

ゴールデンウィーク前でしたので有給休暇行使日数は少ないですがまたもや7連休してしまいました…

 

ゴールデンウィーク終わった翌日に耳鼻咽喉科の医師から出社の許可が出て、ゴールデンウィーク翌々日から出社します

 


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班長さん「限界説くん、納期間に合わないし2ヶ月分の生産予定数遅れがあるんだよ

俺が手伝っても病欠ばかりでは進まないよ、お客さんを待たせているんだよ、それでは困る、仕事が出来てないから言うんだけど限界説くんを責めたいわけではないんだよ」

 

私はまた謝罪しか出来なかったです…

 

機械を壊してしまったり、修理後もインフルエンザや扁桃腺炎に罹患してしまい

生産予定数を大量に溜めてしまった

挽回を目指すペースじゃなく通常の生産量や速度でも私は無能なのでライン速度に着いていけない・作業のミス・作業の理解度が低い・トラブル対応が出来ないです、通常の生産量や速度でも業務を支障無くこなすのが無理です

約2ヶ月分の遅れがあるくらい溜めてしまった生産予定数を挽回するのが出来るはずもありません

ゴールデンウィーク後、日々そんな勤務をしていました

 

限界はやってきます

 

5月末か6月始めくらいの日の朝

私は起床をしました

布団の中でいつものごとく

「仕事無理・仕事無理・仕事無理・仕事無理・仕事無理」とつぶやきながら、過ごしてウィダーインゼリーを口にして

いつものように通勤の為、歯磨きをしてから無理矢理服を着替えました

ここまではいつもの事なんです

 

しかしいつもとは違うことが起こります

玄関から出れなくなりました

 

↑を見た読者さんは「玄関なんてドアノブ捻って開ければ出れるじゃん、ドアを溶接で塞がれたわけじゃあるまいし」と思う人もいらっしゃるとは思いますが

溶接されたわけではなく、ドアノブを捻ってドアを押せば外に出られます

脳から命令が伝達されて手が動けばドアノブ捻ってドア押して出られます

 

しかし私は玄関から出れなくなりました、出ようとする気力が無くなってしまいました

もう限界でした

 

私は体調不良で病院に行くことを班長さんではなく課長さんに電話でご連絡しました

先日あんなに休んで迷惑かけたのにまたこの日も連絡するのは嫌だったので課長さんに電話しました…

 

もう出社出来ない

課長さんにこの時点ではもう出社出来ないとは言わなかったですが、私の脳が完全に出社することを強く否定してます

 


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普段通院している心療内科の午後の診療時間に電話して、無理矢理外出して心療内科に行きました

 

主治医とはこの時点で8年以上診ていただいてます

私のあまり生きることに前向きではない部分(はてなブログなので配慮した表現にしてます)や精神疾患の深刻さや仕事に勤める能力が欠損しているなどのことを主治医は把握されてますので

私が発狂寸前状態で「働くことに限界来ました、もう無理です、無理です」

「私の人生は終わりです、もう歩けません!動けません!どうしても無理です」

こんな半狂乱な話の切り出しに応じながら診察していきました

 

次回の人生記録カテゴリー記事は

私の過去の人生記録、ラストのエピソードなります

 

「35歳限界説の男が休職した話」

 

これを書いた記事にします

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その16)

以前、応援期間で働いてた金属製品を削る部署に異動となり

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その14) - 35歳限界説な男の人生記録

 

応援期間は機械オペレーター業務していなくても、製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することをする作業だけやってる時点でも業務に着いていけなかったのに

部署異動になって機械オペレーター業務を任されてしまう話を前回の記事で書きました

 

製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することをラインの速度に間に合わせたり正確にやることが難しく

上記の作業しながら機械オペレーター作業も削る度合いが一定になるように調整したり、材料の入れ替えやアタッチメントの交換や調整も教わりながら手伝っていただきながらやってみても難易度がかなり高く、ライン速度に間に合わないですし上手く出来なかったりします…


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ライン速度に着いていけない・作業のミス・作業の理解度が低い・トラブル対応が出来ない私です

班長さんや定年退職が迫ってる社員さんは私に対して怒鳴ったりはしませんが困ってる感じはしますし、苦言されることはありました…

 

それなりに就労期間が経つとサポート無しの一人で生産業務をする時間が増えてきます…

就労期間が経っててもライン速度に着いていけない・作業のミス・作業の理解度が低い・トラブル対応が出来ないなどあまり能力は向上してません…

 


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「うあぁぁ、ライン速度に間に合わないよー」

 

「ああぁっ、この製品上手く削れてないよー」

 

「ぎゃぁ、欠けたり割れたりしてる製品が機械から出てくるよー」

 

「ひいぃ、製品の寸法が合わないよー」

 

野々村竜太郎元議員の記者会見みたいなパニック状態が毎日になるくらい、私にとって難解で過酷な業務でした

 

そんなある日、機械を起動して、機械から出てきた製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することに追われていた最中に

 

 

ドン!!!!

 

ガダガタガダガタ!!!

 

ガタン!!!ドン!!!

 


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「あぁ!!機械から壊れてる音がする!!ヤバい!!ヤバい!!」

 

私は緊急停止ボタンを押しました

 

班長さんも駆けつけて来ました


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機械の中を見るとアタッチメントはひどく割れていましたし、アタッチメントを着ける軸も激しく折れていていました

機械の内部をぶっ壊してしまいました…


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班長「限界説くん、何でこうなったの?」


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私「あっ…、えっ…、わ、わからないです!」

 

 

班長「こうなる前に、機械から異音がしなかった?」

 

私「えっ…、いや…、気づかなかったです…」

 

班長「気づかなかったらダメだよ、気づかないと故障して機械が使えなくなるよ」

 

私「すいません…」

 

(私の心の中で)

作業に追われて一杯一杯でトラブルに気がつく余裕無い…、それで深刻なトラブル引き起こすから、本当にこの仕事やれない…

 

壊してしまった私は始末書と修理依頼書を書きました…

修理期間中の私は他ラインの機械オペレーターさんのサポート業務しておりました

約1ヶ月後に修理が終わり再度同じラインで機械オペレーター業務をすることになりました…

 

ここまですごく辛くて限界スレスレまで働いていて、休職又は退職を押し留まっていましたが…

 

それが無理な出来事が起こります

 

限界になった話を次回の人生記録カテゴリー記事にて書きます

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その15)

前回記事にて

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その14) - 35歳限界説な男の人生記録

金属製品を削る部署の社員さんが定年退職が近い為、人員不足になる

その為私を応援人員としてではなく部署異動という形で異動を命じられてしまいました

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その11) - 35歳限界説な男の人生記録

この部署に応援人員として行った期間がありましたが、私の能力不足で業務が着いていけなかったり、ミスがあったりしました

 

応援人員ではなく部署異動なので期間限定ではなく、次に部署異動を命じられるまでずっと金属製品を削る部署で従事しなければなりません…

応援人員のときは期間限定なのでかなり無理やり我慢しながら約3ヶ月間従事して耐え凌いだんですが…

 


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部署異動になり期間限定ではないので詰みました

遅かれ早かれ退職休職するだろうなと思いながらその日を迎えました

 

金属製品を削る部署の班長に初日に言われたことですが

 

班長さん「前回応援人員として来てもらったときとは違って、来年度定年退職される社員さんの替わりを限界説くんにやってもらうことになるからね」

班長さん「限界説くんは定年退職される社員さんに教わりながら、機械オペレーターをしてもらうことになる」

 

!!!?

 

私「あ、あ…、あの…、応援期間のとき…、機械オペレーターしてなくても業務に着いていけれなかったのですが…」

 

班長さん「それでもやってもらう事になる」

 

私「いや…、あの…、着いていけれる感じはしないのですが…」


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班長さん「やって貰わなかったら困る、これ仕事だからね」

 

私「はぃ…」

 

班長さん「俺や定年退職されるAさん(仮名)が教えれる事は教えるから」

 

私「…わかりました」

 

 

応援期間で機械オペレーターを先輩社員さんがやっていて、私は製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することをする作業だけやってる時点でも業務に着いていけなかったのに

機械オペレーターを私がやるとなると更に業務が着いていけないことになります

(一人で機械オペレーター業務する場合はオペレーター作業しつつ、製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することも同時にやらないといけない)

 

 

この部署でおそらく一番難易度が低いラインの機械を担当になりました…


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班長さんや定年退職されるAさんに教わりながらやっていく日々になりますが、案の定着いていけないですし、業務が着いていけないので野々村竜太郎元議員の記者会見くらいなパニック状態になりました…

 

製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することは難しいですし

機械オペレーター作業も(この部署で一番難易度が低いものでも)私からしたらかなり難易度が高く…

削る度合いが一定になるように調整したり、材料の入れ替えやアタッチメントの交換や調整も教わりながら手伝っていただきながらやってみてもとても難しかったです

 


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班長さんやAさんから熱心に教えていただいてるんですが、私の能力には限界があります

毎日ボロボロでした…

 


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家ではほぼ毎日泣き叫ぶくらい精神異常でしたし、奇行や(違法では無いがはてなブログで書けない内容)な事態にもなってます

それでも遠くない未来の退職・休職に向けて無理しながら出勤しておりました

次回の人生記録カテゴリー記事は機械オペレーターをした頃の話を掘り下げて書いていきます

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その14)

前回の人生記録カテゴリー記事は繁忙期で業務が難しい部署への応援期間が終わって

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その13) - 35歳限界説な男の人生記録

社外秘な業務の部署に戻って、業務に着いていけれる状態になったが安堵感が無くなってしまった頃の話を書きました

 

続きを書いていきます

社外秘な業務の部署で業務をなんとか着いていけれる状態の日々を送ってました

 


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それでもまたヤバい部署に応援人員として行くように命ぜられる可能性もあるので、全く安堵感が無いです

それでもこの部署に居られる間は貯蓄を少しずつしながら休職・退職への備えをしていってます

 

半年後のある日、またしても社外秘な業務の部署の班長さんから

班長「昼休み終わったら話がある」

 

あっ…

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その9) - 35歳限界説な男の人生記録

↑前もこのパターンで金属製品を削る部署に応援人員として飛ばされた…

 

このパターンは地獄への切符だ…

 


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ヤバい…

ヤバい…

ヤバい…

 

ご飯食べる気にもなりませんでした…

 

昼休みが終わって呼ばれました

 

班長「前に金属製品を削る部署に応援として限界説くんに行ってもらったよね」

私「はい…」

班長「あの部署、来年度で定年退職される社員さんが居るんだ」

私「はい…」

 

班長「定年退職で人員居なくなる前に部署異動して限界説くんに業務内容をマスターしてもらいたいんだ」

 

 

…!!!!

 

私「ちょ、ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください…!」

 

班長「どうしたのかな?」

 

私「いや、あの、金属製品を削る部署の人から私の業務ぶりについての話は聞かれましたでしょうか…?」

 

班長「向こうの班長から聞いてるよ、それでも向こうの班長から限界説くんにやってもらいたいって話になったので」

班長「来週から行ってもらいたい、こっちは大丈夫だから」

 

私「こ、こ、今回は…、応援とかじゃなく…、完全に部署異動ですか…?」

 

班長「定年退職される社員さんの替わりだから、ずっとだね」

 

定時終了前に社外秘な業務の部署の班長さんと金属製品を削る部署の班長さんと三者面談したとき

前回の業務でとてもじゃないけど着いていけれる自信が無い話も自分なりに説明させていただいたんですが…

 

部署異動の話は押し切られてしまいました…

(民間企業なので営利優先な部分ありますので…)

 

ち〜ん
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私の心の中(あかん…、これで詰みやわ…)

 

完成に詰みな状態になってしまいました…


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私は再度精神崩壊をする・この企業に居られない未来は確定になってしまいました

むしろ部署異動告げられた当日から既に精神が壊れていってます

それでもいずれ来る退職・休職に無策で突入するわけにはいかず、粘れるところまで粘って一銭でも多くして人生終了を遅くしようとしていこうって気持ちに切り替えました…

 

詰みがほぼ確定したところの続きは次回以降の人生記録カテゴリー記事で書きます

2020年最期の会社面談

休職して傷病手当金で生活している35歳限界説の男です

毎月会社面談があります

 

2020年12月の会社面談をしてきました、今年はこれで会社面談終わりです


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復職についてのは話は

医師・会社・私の三者面談 - 35歳限界説な男の人生記録

 

2回目の医師・会社・私の三者面談 - 35歳限界説な男の人生記録

過去2回、会社側・私・(普段通院してる)心療内科の医師で三者面談をして復職への話し合いや復職への準備などをしてきました

心療内科の医師から復職許可の診断書を発行となりましたが

残すは産業医との面談次第となっております

 

まだ産業医面談は行われておらず、会社面談です

会社面談前の事前連絡で

面談日に生活リズム表を持参してください

と言われてました

 

2020年11月の心療内科通院 - 35歳限界説な男の人生記録

↑こちらの記事に書きましたが

生活リズム表とは睡眠・行動内容・疲労感を記入する表です、復職を目指す為に行動した記録をつけます

 

面談に入ると生活リズム表を会社に提出しました

何故提出したかというと産業医が面談前に生活リズム表を見ておきたいという理由だということです

会社側から産業医面談の日程を伝えられましたが…

来年1月中旬になるそうです

 


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(無職になるか復職になるかわからないまま不安要素を抱えた越年か…)

って内心私は思いました…

 

会社側からの説明だと復帰時期を1月の中旬から下旬辺りを想定してて、年内に産業医面談しても日にちが空いてしまって容態がどうなるかわからない

なので直前くらいな1月中旬に産業医面談の日程にしたいという内容で

会社側の説明内容は正しい理由であるなとも思います

不安要素もありますが

会社側は私の容態変化するリスクや復職を具体的に考えていらっしゃってるのがすごく伝わりました

1月中旬まで復職への準備(8時間勤務出来る体力作りや睡眠リズム作り)を継続しようと私は再度思いました

 

産業医面談日程の話の次は傷病手当申請書の話です

今回の申請で傷病手当申請が期間最期になることを医師から言われてましたので会社側にお伝えしました

11月16日〜12月17日の32日分の傷病手当申請書を提出しました

 

社会保険料をお支払いしたりや、復職に向けての活動をお話したりもして

 

締めに会社側の人から

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「こうゆう(コロナ禍)なご時世ですので、休職中も体調管理気をつけてください

体温を測定した際に37度5分以上の発熱になった場合、休職期間でもすぐさま会社に連絡ください」

 

とおっしゃられていました

休職中な私だけでなく全従業員取り組まれている新しい規則だそうで

東証一部上場企業なのもあってか、そうゆう部分の危機意識がある企業だなと改めて感じました

復職に向けての活動だけでなく、感染症も気をつけていかないといけないなとは思いました

休職中とはいえ、手洗いやうがいなどして気をつけていても(体力作りや買い物等で)外出はしますので感染する可能性はあります、万が一発熱した場合も考えていかないといけないです

 

今年会社の人にお会いするのは最期となり、来年の産業医面談が次回会社の人とお会いする機会になります、来年も会社への交渉は続けていきます

35歳限界説の男のクリスマス雑談

復職するかもしれないのでウォーキングなどで身体作りをしている休職中の35歳限界説の男です

 

名古屋港をウォーキングしましたがクリスマスシーズンなので


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それっぽい電飾されておりました

クリスマス雰囲気が漂う感じですね

 

私は今年も交際相手いないですし、キリスト教徒ではありませんので特にクリスマスだから何かするって予定も無いです

交際相手いなくて約3年、過去には交際相手居た時期もありましたが

大概クリスマスは当日仕事とか翌日仕事なので交際相手が居た時期も特に何かした記憶が無いですね

 


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読者さん「仕事って言うけど学生時代はどないしてたん?学生時代は当日や翌日気にしなくても恋人とクリスマス過ごせるやんけ」

って言うと思うので書きます

 

学生時代は交際経験ゼロです

 

35歳限界説の男、バレンタインデー経験を語る - 35歳限界説な男の人生記録

バレンタインデーについての記事で書きましたが

学生時代は交際経験が無いどころか、女子から一番嫌われてた男子でした

女子から校内で一番嫌われてた男子な私

バレンタインデーやクリスマスに女子からプレゼントを貰うどころか

 

普段から悪口か投石のプレゼントを貰ってるくらい嫌われてた男子でした

 

モテない男子のエリート

モテない男子のプロ

それが35歳限界説の男の学生時代でした

 


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男性読者さん「交際経験が無い学生時代どころか女子から超嫌われてたとか、かわいそうに…」

って思う男性読者さんもいらっしゃると思われますが

 

学生時代は女子にモテたいとか全く考えてなくて、同性の友人と遊んだり、趣味を楽しんだりしてたので当時全く気にならなかった男子でした

女性を意識しだしたのは社会人になってからですし

 

初恋は社会人になってからし

 

という日本人男性ではほとんどいないであろう感性の持ち主だったりします

私はとても変わり者な自覚はあります

クリスマス雑談から段々脱線してるので話を戻します…

 

クリスマスは全く何かする習慣が無い私です

交際相手が居た時期はどうしてたかというと

年末年始の休みに交際相手と会って、イベント事したりプレゼント渡したりしてましたね

一緒にカウントダウンとか楽しかったな〜(遠い目

こんな感じでクリスマスじゃない日に大切な行事を持っていってました

社会人になってからの方が交際相手居ない時期がキツく感じております

 

クリスマスに楽しい行事ある読者さんは楽しい時間をお過ごしください!

 

クリスマスの予定何も無い読者さん、私も何も無いクリスマスなので同じです

そうゆう読者さんに幸せな出来事がこれから増えていくといいなと私は思っております

 


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クリスマスの電飾だけではなく、名古屋港の夕暮れも良い雰囲気でした