金属製品を削る部署に冬の繁忙期は応援人員として行ってきてと言われて約3ヶ月程応援人員として業務していた頃の話を
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その10) - 35歳限界説な男の人生記録
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その11) - 35歳限界説な男の人生記録
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その12) - 35歳限界説な男の人生記録
過去3記事書きました
今回は応援期間が終わってからの話をブログ記事にします
社外秘な業務の部署に戻って、以前と同じ様な業務をやりました
約3ヶ月離れていると、忘れてしまったことや作業の不慣れもあり、再度慣れていく為に着いてけるように心掛けながら業務をしていきました
しばらくすると応援期間前までの作業内容やスピードが出来るようになっていきます
応援期間、毎日家で不安や恐怖心で苦悩したり
作業スピードに着いていけなかったり、先輩社員さんや班長さんの説明を受けても私は頭が悪いので理解出来なかったり、ミスも多かったので辛かったです
社外秘な業務の部署に戻って業務をしててなんとか着いていけれて、退勤して家に帰っても業務内容への不安や恐怖心がかなり減りました
東証一部上場企業の勤務が限界になった経緯(その7) - 35歳限界説な男の人生記録
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その8) - 35歳限界説な男の人生記録
↑業務はこの記事の内容なので、なんとか着いていけれる
しかし、安堵感は全く無くなってしまいました…
理由は、この前応援人員として違う部署での業務をすることになったので
応援人員として違う部署での業務を命ぜられるのが1回こっきりとは限らない
再度応援人員として違う部署での業務を命ぜられる可能性がこの先あるかもしれないですし、次こそは精神や身体が限界を超えてしまい退職や休職になりかねない
こうゆう危機感や恐怖心は持ち続けることになりました
退職や休職に追い込まれる可能性もあるので、貯蓄を少しずつしていく気持ちが更に強くなりました
実際に休職になるところまで追い込まれて35歳のとき休職した私、35歳限界説の男なので休職して傷病手当で生活しながらこのブログを書いてます
何故休職に追い込まれる事態になったかはもう少し先の話になります
次回以降の人生記録カテゴリー記事で続きを書きます