前回記事にて
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その14) - 35歳限界説な男の人生記録
金属製品を削る部署の社員さんが定年退職が近い為、人員不足になる
その為私を応援人員としてではなく部署異動という形で異動を命じられてしまいました
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その11) - 35歳限界説な男の人生記録
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この部署に応援人員として行った期間がありましたが、私の能力不足で業務が着いていけなかったり、ミスがあったりしました
応援人員ではなく部署異動なので期間限定ではなく、次に部署異動を命じられるまでずっと金属製品を削る部署で従事しなければなりません…
応援人員のときは期間限定なのでかなり無理やり我慢しながら約3ヶ月間従事して耐え凌いだんですが…
部署異動になり期間限定ではないので詰みました
遅かれ早かれ退職か休職するだろうなと思いながらその日を迎えました
金属製品を削る部署の班長に初日に言われたことですが
班長さん「前回応援人員として来てもらったときとは違って、来年度定年退職される社員さんの替わりを限界説くんにやってもらうことになるからね」
班長さん「限界説くんは定年退職される社員さんに教わりながら、機械オペレーターをしてもらうことになる」
!!!?
私「あ、あ…、あの…、応援期間のとき…、機械オペレーターしてなくても業務に着いていけれなかったのですが…」
班長さん「それでもやってもらう事になる」
私「いや…、あの…、着いていけれる感じはしないのですが…」
班長さん「やって貰わなかったら困る、これ仕事だからね」
私「はぃ…」
班長さん「俺や定年退職されるAさん(仮名)が教えれる事は教えるから」
私「…わかりました」
応援期間で機械オペレーターを先輩社員さんがやっていて、私は製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することをする作業だけやってる時点でも業務に着いていけなかったのに
機械オペレーターを私がやるとなると更に業務が着いていけないことになります
(一人で機械オペレーター業務する場合はオペレーター作業しつつ、製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することも同時にやらないといけない)
この部署でおそらく一番難易度が低いラインの機械を担当になりました…
班長さんや定年退職されるAさんに教わりながらやっていく日々になりますが、案の定着いていけないですし、業務が着いていけないので野々村竜太郎元議員の記者会見くらいなパニック状態になりました…
製品の寸法測ったり・外観の良し悪しを判断することは難しいですし
機械オペレーター作業も(この部署で一番難易度が低いものでも)私からしたらかなり難易度が高く…
削る度合いが一定になるように調整したり、材料の入れ替えやアタッチメントの交換や調整も教わりながら手伝っていただきながらやってみてもとても難しかったです
班長さんやAさんから熱心に教えていただいてるんですが、私の能力には限界があります
毎日ボロボロでした…
家ではほぼ毎日泣き叫ぶくらい精神異常でしたし、奇行や(違法では無いがはてなブログで書けない内容)な事態にもなってます
それでも遠くない未来の退職・休職に向けて無理しながら出勤しておりました
次回の人生記録カテゴリー記事は機械オペレーターをした頃の話を掘り下げて書いていきます