35歳限界説な男の人生記録

35歳時にうつ病と仕事の能力不足で休職、2021年から障害者雇用で復職した男のブログ

最近ネット上で見たネタの雑談

今日は雑談回の記事にしてみます

 

 

よく飲食店や施設に入る前に


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↑こうゆう非接触体温計をされますが

 

まとめサイト

店員「入店時に体温測定させてください~(ピッ」

店員「34.2℃ですね お入りください~」

 

っていうネタ記事がありましたが

 

私の経験談になりますが

Aの店舗入るとき測ると36.1℃

Bの店舗入るとき測ると35.6℃

Cの店舗入るとき測ると36.7℃

とか一日で複数の店舗に入る度に測ってもバラバラだし、低体温な数値やあと少しで発熱してる数値みたいな数値出ます

本当の体温がわからん…

そんな短時間で極端に体温が上下してるとは考えにくいし、あの機器は本当に目安の数値だなと思いました

多分コロナ感染者が店舗や施設内で出たときに「非接触体温計で計測して対策はしていましたよ」って言えるようにする為にやってることなのだろうとは思いますが…

 

 

ネット上の話題やネタは

お笑い芸人⚫⚫が不倫!

 

政治家○○が増税を検討!

 

スポーツ選手▲▲が暴行事件!

 

大企業★★が大量リストラ!

とかインパクトあって強くネガティブな話題やネタが多いですし、そうゆう話題やネタがあるのは中には大事なこともありますが…

全部の記事がそれで埋めつくされるとギットリとして脂っこい感じが私はしてしまいます

 

ストーブ着けたら飼い猫がストーブの周りから動かなくなった!

 

車窓から見た茶畑がきれい!

 

Amazonセールで買って安くて良かったものは☆☆だ!

 

 

合間にこんな感じのさっぱり、ふわっとした話題やネタを目にするとちょうどバランス取れるなぁって私は思いますね

 

といいつつ私のブログが強くネガティブな記事が連日続く期間あるやん…っていうお前が言うなよ的なオチで締めたいと思いますw

この記事はGoogleのサービス障害が起きた日に書いてます

2020年12月14日20時40分頃(日本時間)

14日夜の「Gmail」「YouTube」などの障害が解消(Impress Watch) - Yahoo!ニュース

Googleのサービス障害でgmailGoogleマップYouTubeなどが利用出来ない事態がありました

 

Twitterを見ていたとき

YouTube見れないからヒマだ〜」みたいなツイートがありましたが

 

Googleのサービス障害で仕事が出来ないぞ」みたいなツイートも見かけました…

時間をもう一度書きます

2020年12月14日20時40分頃(日本時間)

夜なんですよ…

 

仕事が出来ないってツイート書いてる人が医療従事者・インフラ・(警察・消防・自衛隊海上保安庁などの)公務員とかなら仕事を滞るのはマズイとは思いますが…

そうじゃない業種・企業の仕事でしたら…、いかに日本人は人生=仕事な人がたくさん居るのかと思うと私は恐怖を感じました…

仕事第一な人種・国家な日本人が私は怖い

Googleサービス障害でこうゆう恐怖な一面が見えました…

東日本大震災の被災者でも、医療従事者・インフラ・(警察・消防・自衛隊海上保安庁などの)公務員以外の職な人が仕事第一主義で仕事していた人も居たのだろうなと推測出来るくらい、私には怖い話です…

 


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ちなみに私は2020年12月14日20時40分頃(日本時間)からサービス障害が終わる時間はたまたまブログ記事を作成したり、ちょっとTwitterを見たり、ツイキャスで好きな配信者の生配信を見たりして不便無く過ごしてました

Twitter見てこのニュースを知りました、よくYouTube動画とか見るのでたまたま違うことしてた時間で気づくの遅くなりました

2020年12月の心療内科通院と最期の傷病手当申請

うつ病と仕事の能力不足により2019年6月頃から休職して傷病手当金で生活している35歳限界説の男です

今回の心療内科通院でおそらく今年は最期の通院になると思います(緊急事態なって緊急的な通院が無ければですが)

 

心療内科で受付を済ませて診察室へ行きます


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復職を目指しているので

2020年11月の心療内科通院 - 35歳限界説な男の人生記録

先月の心療内科通院にて生活リズム表をつけることになり、記入し終えた生活リズム表を提出しました

 

生活リズム表を見た医師が

医師「睡眠時間が最近安定してないですね」

 

私「最近、夜中〜朝方がすごく冷え込んでいるので寒さで寝つくのが遅かったり、明け方前に寒さで起きてしまうことがあります」

 

睡眠リズムについての話からしました

身体を動かす体力作りは定期的に出来てたので、その部分のご指摘は無かったです

 

医師「産業医面談はどうなりました?」

 

とおっしゃられたので、まだ行われてなく面談日もまだ決まっておりませんと私は言いました

医師からは、睡眠リズムの更なる改善をして産業医面談に臨んでくださいという話になりました

 

傷病手当申請が最期になり、傷病手当期間がこの申請分で終わります

12月17日が傷病手当期間最終日でしたので

11月16日〜12月17日の32日分の傷病手当申請書を発行していただきました

 

最終分の傷病手当金は一番多い額になりそうです

今までの支給額を見ると

30日分だと159990円

31日分だと165323円

ですので1日辺り5333円分になります

32日分の場合は

170656円(推定額)になるかな

 

1月から復職するとしても給与は2月後半になるので無収入期間がありますし

復職出来なかった場合無収入期間が続きます

最期の傷病手当金+私の口座にある貯蓄額で生活を遣り繰りしていくことになります

 



傷病手当期間が終わってしまうのは本当に悲しいことです

うつ病と仕事の能力不足で仕事をするのが限界になり、今まで傷病手当で食いつないで1年6ヶ月生きてこられたのですが


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これから先の生活は保証がありませんので人生の展開が悪い方向になったら来年以降もしかしたら生命維持が出来なくなる可能性もあります…

 


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傷病手当が無かったら35歳限界説の男の生命は2019年で既に終わっていたんだ

ここまで延命出来ただけでもすごいと思わないといけないね

腰が重いけどスパートかける(その2)

復職するかもしれないので体力作りもしないといけません

ブルーカラー業種(製造業)で8時間勤務となると、ある程度の体力が無いと働けないです

腰が重い私ですが外出して身体を動かします

 

自分のペースでウォーキングやサイクリング(サイクリングといってもロードバイクとかじゃなくママチャリです)をして身体作りします

五色園に行ってみた - 35歳限界説な男の人生記録

この記事みたいにでかい敷地の公園を歩くとのびのびと歩けます

 

ウォーキングやサイクリングだけではなく、身体作りを飽きないようにダーツやボウリングなどもする日あります

 

 

薬指が欠損しててもダーツやボウリングは一応出来ます!

 

ダーツをしたのですが…


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かなり久しぶりとはいえ、ひどいwww

ブルや20を狙ってこれですからね

恥ずかしいですが、平日午前の人が居ない時間に一人でやってましたので誰かに見られることはなかったです

 



ボウリングは二人で行きました


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(名前などをモザイクしてます)

画像は8ゲーム目ですが、9ゲームぐらいやりました

薬指欠損してる私ですが、体力作りの為にやりましたよ!

薬指欠損しててもアベレージ100以上は出せれました

 

体力作りはまだまだこれからもやります

それでももし復職したら最初は精神的なキツさだけでなく体力的にもキツいとは思いますが、なるべく体力をつけたいです

 

 

食べ物にも少し気を使って
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蒟蒻畑のような低カロリーな食品を間食として増やしてます

 


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一気食いして喉に詰まらせると危険な食品ですのでしっかり噛みながら食べてます

体重が重すぎると身体動かすのがキツイので、体重をなるべく増やさないようにはしたいです…

腰が重いけどスパートかける(その1)

傷病手当期間という、生活費を貰えながら生き永らえるシンデレラタイムが終わる


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休職中な35歳限界説の男です

 

傷病手当期間が終わって復職か無収入になるので

どちらにしても精神疾患がひどくなったり、復職すれば私的な時間が無くなります

 

腰が重い私ですが年内にやろうとしてることがあります

2020年12月の傷病手当金 - 35歳限界説な男の人生記録

先日、スマートフォンは替えれました!

それ以外にもやらないといけないことをやっていきました

 


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ヘアサロンにて髪を切りました

30代後半男性の髪型は難しい - 35歳限界説な男の人生記録

今回も一昔前の韓国系芸能人みたいなアシメトリーな髪型にしました

中年太りしてて顔面不細工ですが髪型だけは整える!


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読者さん「中年太りの不細工って…、髪型だけで容姿整えるのは無理過ぎやろ…」

って思う読者さんがいると思われますが

 

正解!

 

髪型だけでは何ともならんです…

 

もっと腰が重い

デビットカードを作成

もしてきました


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某金融機関に平日朝行ってきました

金融機関に入店すると案外人がいなかったので待ち時間がほとんどありませんでした

人口過密な都会ではなく、東海地方の過疎な自治体だからかもしれませんが…

受付するとまたしてもタブレットを渡されました

押しつけがましいお店はすぐ退店する私 - 35歳限界説な男の人生記録

この記事のときみたいに嫌なイメージしかありません…

今回も入力に悪戦苦闘しましたが、わからないところは金融機関の行員さんが丁寧に説明してくださって投げ出さずになんとか出来ました

 

 

現職に入社して約1年ちょっとしたくらいからデビットカードを作成したいなと思ってましたが、3年かかってやっと作成しました

私は本当に腰が重い…

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その13)

金属製品を削る部署に冬の繁忙期は応援人員として行ってきてと言われて約3ヶ月程応援人員として業務していた頃の話を

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その10) - 35歳限界説な男の人生記録

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その11) - 35歳限界説な男の人生記録

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その12) - 35歳限界説な男の人生記録

過去3記事書きました

今回は応援期間が終わってからの話をブログ記事にします

社外秘な業務の部署に戻って、以前と同じ様な業務をやりました

約3ヶ月離れていると、忘れてしまったことや作業の不慣れもあり、再度慣れていく為に着いてけるように心掛けながら業務をしていきました

しばらくすると応援期間前までの作業内容やスピードが出来るようになっていきます

 


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応援期間、毎日家で不安や恐怖心で苦悩したり

作業スピードに着いていけなかったり、先輩社員さんや班長さんの説明を受けても私は頭が悪いので理解出来なかったり、ミスも多かったので辛かったです

 

社外秘な業務の部署に戻って業務をしててなんとか着いていけれて、退勤して家に帰っても業務内容への不安や恐怖心がかなり減りました

東証一部上場企業の勤務が限界になった経緯(その7) - 35歳限界説な男の人生記録

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その8) - 35歳限界説な男の人生記録

↑業務はこの記事の内容なので、なんとか着いていけれる

 

しかし、安堵感は全く無くなってしまいました…

理由は、この前応援人員として違う部署での業務をすることになったので

 

応援人員として違う部署での業務を命ぜられるのが1回こっきりとは限らない

 

再度応援人員として違う部署での業務を命ぜられる可能性がこの先あるかもしれないですし、次こそは精神や身体が限界を超えてしまい退職や休職になりかねない

こうゆう危機感や恐怖心は持ち続けることになりました

退職や休職に追い込まれる可能性もあるので、貯蓄を少しずつしていく気持ちが更に強くなりました

実際に休職になるところまで追い込まれて35歳のとき休職した私、35歳限界説の男なので休職して傷病手当で生活しながらこのブログを書いてます

 

何故休職に追い込まれる事態になったかはもう少し先の話になります

次回以降の人生記録カテゴリー記事で続きを書きます

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その12)

冬のあいだ社外秘な内容の部署から金属製品を削る部署へ応援人員として配置された頃の話の続編話を今回のブログ記事に書きます

 

作業スピードが着いていなかったり

ミスもあったり

トラブルになると野々村竜太郎元議員の会見のようなパニック状態になったり

すごく足を引っ張っていた存在な私でした

こんな私でしたが先輩社員さんや班長さんは面倒見てくださるので、人間関係ではなく単純に業務内容が私にはこなせれない内容でした…


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毎日毎日辛かったですが

「冬の間耐えよう…、耐えて金属製品を削る部署の応援期間終わったら社外秘な内容の部署に戻って私でもなんとか着いていけれる業務に戻るんだ」

↑これを心の中で呪文のように唱えてました

そうでもしないと私は退職か休職してしまうくらいキツかったので…

 

ライン稼働しながら

機械オペレーターの先輩社員さんは機械オペレーターと材料の補充と完成した製品が入ったパレットを出荷スペースに運ぶこと

私は寸法の測定・製品の外観判断をしてます(外観判断が正確に出来なかったですが…)

 


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生産する数量が出来上ったら、次に作る製品の切り替えを機械オペレーターさんがします

作る製品の切り替えをするとき機械のアタッチメントの交換や材料の入れ替えをします

アタッチメントを何ヶ所か付け替えて調整したり

材料の良し悪しを見ながら入れ替えたり

作り終わった製品の数量や出荷日の票記入したり

機械オペレーターさんがすごく手早くやってます

 


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「この部署の機械オペレーターってすごく大変だなぁ…、私だったら無理だなぁ…」

って思いながら手伝いしてました

 

 

そんな感じで耐えながら毎日を過ごしていて

金属製品を削る部署の班長さんから呼ばれました

 

班長「今週末でここの生産が繁忙期終わるから、来週から社外秘な内容の部署に戻ることになるよ、35歳限界説くん冬の間ありがとうね」

私「わかりました、来週から元の部署に戻ります」

 

 


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私の心の中

「約3ヶ月耐え抜いた…、なんとかこの企業でまだ生き残れそうだ…」

 

応援期間生き残れたのは先輩社員さんや班長さんがキレたりせず、フォローしていただいたり説明してくださったりしていただいたのでやれました

私が無能だったので、先輩社員さんや班長さんにすごくご迷惑になっていたので申し訳ない気持ちでした…

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その3) - 35歳限界説な男の人生記録

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その5) - 35歳限界説な男の人生記録

入社した最初の部署みたいに苛烈な詰められ方してたら応援期間を全う出来なかったです

あと応援期間限定じゃなかったり、業務がこれ以上難しいかったら続けれなかったと思います

 

私は冬が終わる頃に

東証一部上場企業の勤務が限界になった経緯(その7) - 35歳限界説な男の人生記録

 

東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その8) - 35歳限界説な男の人生記録

また社外秘な内容の部署に戻りました

次回の人生記録カテゴリー記事は戻った時の話から書いていきます