冬のあいだ社外秘な内容の部署から金属製品を削る部署へ応援人員として配置された頃の話の続編話を今回のブログ記事に書きます
作業スピードが着いていなかったり
ミスもあったり
トラブルになると野々村竜太郎元議員の会見のようなパニック状態になったり
すごく足を引っ張っていた存在な私でした
こんな私でしたが先輩社員さんや班長さんは面倒見てくださるので、人間関係ではなく単純に業務内容が私にはこなせれない内容でした…
毎日毎日辛かったですが
「冬の間耐えよう…、耐えて金属製品を削る部署の応援期間終わったら社外秘な内容の部署に戻って私でもなんとか着いていけれる業務に戻るんだ」
↑これを心の中で呪文のように唱えてました
そうでもしないと私は退職か休職してしまうくらいキツかったので…
ライン稼働しながら
機械オペレーターの先輩社員さんは機械オペレーターと材料の補充と完成した製品が入ったパレットを出荷スペースに運ぶこと
私は寸法の測定・製品の外観判断をしてます(外観判断が正確に出来なかったですが…)
生産する数量が出来上ったら、次に作る製品の切り替えを機械オペレーターさんがします
作る製品の切り替えをするとき機械のアタッチメントの交換や材料の入れ替えをします
アタッチメントを何ヶ所か付け替えて調整したり
材料の良し悪しを見ながら入れ替えたり
作り終わった製品の数量や出荷日の票記入したり
機械オペレーターさんがすごく手早くやってます
「この部署の機械オペレーターってすごく大変だなぁ…、私だったら無理だなぁ…」
って思いながら手伝いしてました
そんな感じで耐えながら毎日を過ごしていて
金属製品を削る部署の班長さんから呼ばれました
班長「今週末でここの生産が繁忙期終わるから、来週から社外秘な内容の部署に戻ることになるよ、35歳限界説くん冬の間ありがとうね」
私「わかりました、来週から元の部署に戻ります」
私の心の中
「約3ヶ月耐え抜いた…、なんとかこの企業でまだ生き残れそうだ…」
応援期間生き残れたのは先輩社員さんや班長さんがキレたりせず、フォローしていただいたり説明してくださったりしていただいたのでやれました
私が無能だったので、先輩社員さんや班長さんにすごくご迷惑になっていたので申し訳ない気持ちでした…
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その3) - 35歳限界説な男の人生記録
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その5) - 35歳限界説な男の人生記録
入社した最初の部署みたいに苛烈な詰められ方してたら応援期間を全う出来なかったです
あと応援期間限定じゃなかったり、業務がこれ以上難しいかったら続けれなかったと思います
私は冬が終わる頃に
東証一部上場企業の勤務が限界になった経緯(その7) - 35歳限界説な男の人生記録
東証一部上場企業の就労が限界になった経緯(その8) - 35歳限界説な男の人生記録
また社外秘な内容の部署に戻りました
次回の人生記録カテゴリー記事は戻った時の話から書いていきます