35歳限界説な男の人生記録

35歳時にうつ病と仕事の能力不足で休職、2021年から障害者雇用で復職した男のブログ

35歳限界説の男の鎌倉散策

友人との旅も3日目に突入

鎌倉でピザを食べた私たちは鎌倉を散策します



前日行った江ノ島は日射しがとても照りつけるくらいでしたが、翌日の鎌倉は一面曇り空でした


f:id:genkai35sai:20201118230058j:image

でっかい鳥居ですね…

鶴岡八幡宮に来ました

鶴岡八幡宮について

康平6年(1063年)8月に河内国大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。永保元年(1081年)2月には河内源氏3代目の源義家八幡太郎義家)が修復を加えた。

治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。建久2年(1191年)に、社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。承元2年(1208年)には神宮寺が創建される。

源氏ゆかりの神社でありますね


f:id:genkai35sai:20201118230115j:image


祭や七五三や初詣の日ではないのですが屋台もあり活気がありました

 


f:id:genkai35sai:20201118230136j:image

参拝をしに37歳のおじさん二人は階段を登ります

 


f:id:genkai35sai:20201118230155j:image

参拝者が多かったのでこのアングルでの撮影になりました

特別な日ではないのに参拝者が多いのは源氏信仰なのか、観光地として抜群に有名だからなのかわかりませんが、普通の神社ではあり得ないくらいの活気…

 

しかし鶴岡八幡宮の参拝だけでは終わりませんよ


f:id:genkai35sai:20201118230255j:image

源頼朝の墓も徒歩圏内にあるので行ってみます

 


f:id:genkai35sai:20201118230310j:image

到着しました


f:id:genkai35sai:20201118230331j:image

源頼朝の墓も階段の上…

 

友人「さすがに前日は江ノ島、今日は鎌倉をずっと歩いて、なおかつ階段や坂だらけで疲れたぞ」

ってぼやいてましたが気持ちはわかりますw

 


f:id:genkai35sai:20201118230512j:image

一人は1年以上休職してる37歳のおじさん(私、35歳限界説の男のこと)

一人はホワイトカラー仕事だし、コロナ禍になりコンビニくらいしか普段外出しなくなった37歳のおじさん(田中穂積さん似の友人のこと)

この2日間でバテバテな二人

 


f:id:genkai35sai:20201119001624j:image

源頼朝の墓に手を合わせてきました

佇まいが雰囲気ありますね…

 

真田幸村最期の地 - 35歳限界説な男の人生記録

真田幸村真田信繁)の墓や

 

有松+桶狭間に行ってみた - 35歳限界説な男の人生記録

今川義元の墓にも今年は行ってます

今年は著名な武将の墓行く回数多くなってます

 

源頼朝の墓に手を合わせていると強めな雨が降ってきました…

傘を持ってない私の禿げ頭がびしょびしょになりますので退却いたしました、酸性雨は頭皮に悪影響ですし…

 

 

私と友人は散策をやめて、鎌倉駅前でお土産を買ったり、喫茶店でくだらない話をしてから帰りました

3日間の遠出は充実した内容でした

傷病手当期間は2020年12月までなので、もう遠出する旅費が捻出できる気がしないので

今回で傷病手当期間内の自腹の遠出はおそらく最期です(自腹じゃなかったり、何か機会があればもしかしたらあるかもですが)

このブログを長く見ていただいてる読者さん、観光記事をいろいろ見ていただきありがとうございました

これからは観光記事以外の記事ばかりになりますが、良かったらこれからも御贔屓にしていただけるとうれしいです