今回のブログ記事は東海道の宿場町として栄えたり、有松絞りという絞り染め織物の産地で有名な有松を歩いて通って
愛知県豊明市方面に向かい桶狭間の戦いで有名な場所である桶狭間にも行ってまいりました
名鉄有松駅から徒歩10~15分くらいで有松の古い宿場町な通りに着きました
江戸期に栄えたような日本家屋がずらっと並んでます
この建物、味わいある外観をしてますね
軒先にて名物の有松絞りの織物を販売されていた店舗さんもありました
有松宿場町を通り抜けて、豊明市方面に歩いていきます
豊明市方面に歩いていると洋風なでかい時計が着いてる建物が目立ちますね
なんと、この建物の横に桶狭間の戦いの史跡があります!
桶狭間古戦場に到着しました
桶狭間の戦いにおける織田軍と今川軍双方の進軍ルートが書かれた看板あります
今川義元の墓があります
桶狭間で織田軍の服部小平太に槍で突かれて、毛利新介が刀で討ち取ったという記録があります
討ち取られるとき毛利新介の指を食い千切りながら討ち取られたというものですね、今川義元の執念を感じます
毛利新介さんは指が欠損してからどうゆう生活になったのだろうか個人的に気になるところ、私は過去の人生で薬指欠損した経験があるので気になってしまいます
ちなみに桶狭間の戦い時に今川軍の先鋒をしていた徳川家康は大高城で終戦を迎えております
徳川家康が布陣していた大高城跡を散策 - 35歳限界説な男の人生記録
↑去年ブログ記事にした大高城跡の記事です
今川義元が討ち取られてしまった後の今川家は当主が息子の今川氏真に代替りしましたが後年武田家に攻められてしまい大名家としての今川家は滅亡してしまいます
しかし今川氏真は江戸時代まで生き残っており、昔からのよしみで徳川家康に旗本として取り立てられて今川家の子孫は江戸期も代々高家旗本として続いていきます
帰りは有松駅ではなく中京競馬場前駅へ行き、ここから帰りました
こちらの駅の方が桶狭間古戦場の最寄駅です(もちろん中京競馬場も最寄駅です)
今回は有松の宿場町を歩き、桶狭間古戦場まで散策してみました
休職中・うつ病な私なので久しぶりにたくさん歩けて良かったです