35歳限界説な男の人生記録

35歳時にうつ病と仕事の能力不足で休職、2021年から障害者雇用で復職した男のブログ

人間の多様性を認めるか否か

私のTwitterフォロワーさんでツイキャスという配信サイトで配信されてる人が何人かいらっしゃいます

 

とある配信してる人が配信されてた話について今日は記事にしました(メールにて本人様に許可いただいてます)

仮称Aさんとします

 

Aさんが話の流れで

人間の多様性を認めると

 


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住宅の前で野生の鳥に餌付けをして、野生の鳥を大量に集めて近隣の住民に迷惑がかかるので

それを人間の多様性として存在を認め続けるのは不味いですよね、なので際限の無い人間の多様性を認め続けるのは無理なのではないか

 

という内容の話をされていて

配信を聴いてた日の私は「なるほどな~、一理ある…」という風に思ってました

たしかに住宅街に野生の鳥餌付けして大量に集める人の例だとフン害や異臭などで近隣の住民に迷惑かけやすくなりますね

 

人間の多様性を際限なくってなると確かに社会の弊害にはなりますが

私は後日その話を思い返してみました

よく人間の多様性の話題で題材に挙がるのが同性愛の人の話が多く見られます

 

住宅の前で野生の鳥餌付けして近隣の住民に迷惑をかける人の場合は故意で誰かの生活に支障を出したりします

同性愛の人は同性同士の恋愛や(国によっては)結婚などをします、これは誰かの生活に支障はありません

 

人間の多様性を寛容できる線引きとして社会に支障をきたすかどうかを線引きにした方が良いのかもしれません

 

そうすると「社会に支障があるのは寝たきり高齢者や高齢者じゃなくても何らかの理由で就労してない人もだろ、こうゆう多様性を認めない」って言う人が世の中にいますが

納税をしてないからとか自立生活してないからとかで生存権を脅かす方法をやるのはまともな国家だと私は思えません

生産性で測る国家運営は私のような元々無能な人はもちろん生存権を剥奪されるし、元々有能な人でも高齢者になって動けなくなったり、高齢でなくてもいきなり病気や怪我で動けなくなったりした場合生存権を剥奪される

こんな国家では幸せな人が少なく、地獄のような国です(今の日本もこれに近いですが)

 

多様性を許容するのは

少数の価値観だけど社会的に支障をきたさない事柄

社会的に支障があるかもしれないが、認めないとその人の生存権を脅かす事柄

これらに該当するケースは多様性を容認する社会になって欲しいと思います

 

生存権を脅かす事柄じゃないが人を傷つけたり、社会に支障をきたす事柄についてはAさんの配信でおっしゃった内容について一理あるなと思いました